ガリラヤの路上で~リビングストン教会聖書勉強~

リビングストーン教会聖書勉強

31.ガリラヤの路上で

マルコによる福音書9:30-37
主イエスは、エルサレムに行かれる前、最後のカファルナウム訪問をする予定でした。しばらくの間、弟子たちとともに静かな場所におられた主イエスは、カファルナウムに行かれても、できるだけ群集の目にさらされないような道を選んで旅をしておられました。十字架の死を前にして、主イエスは祈り、瞑想する時がさらに多く必要でしたが、同時に弟子たちがイエスの死に直面したとき、ぐらつかない強い信仰を持つことができるように、あらかじめ準備をさせる必要がありました。それで、道を歩きながら、十字架の死と復活について2度目の予告をされ、主の弟子になる道は、他の人に仕える謙遜な態度を持つことであることを教えられました。

1. 主イエスは、ガリラヤ地方を通って行かれたとき、どのようなことに気を遣っておられましたか。その理由はどこにあったのでしょうか(30-31)。

2. あなたは、神の御言葉を黙想して祈らなければならないとき、できるだけ人を避けたほうが良いということについてどう考えますか。自分の周囲にいる人々が神様との交わりの障害になることはありませんでしたか。あったら、そのことについて話してみて下さい。

3. 道を歩きながら主が弟子たちに教えられたことは、十字架上の死と復活でした。このことを主はどこから取り扱っておられるのか、もう一度考えてみてください(マルコ8:27以下)。

4. 十字架上の死と復活について、主が弟子たちに教えられるとき、主はどうして他の人のいないときに多く語っておられるのでしょうか。

5. あなたは十字架の前において、主イエスとだけ相対したことがありますか。また、復活の日にマグダラのマリアが1人で復活の主と出会ったように主と出会ったことがありますか。

6. 主イエスは、ご自分の十字架上の死について、極めて明確に語っておられます。主がこのように断定的に語ることがおできになる理由は何だと思いますか。

7. 主イエスが、ご自分の死と復活について、何度も弟子たちに語られた動機は、弟子たちをいたわり、慈しむ愛であったと思います。その理由をマルコ13:22-23、ヨハネ13:19を参考にして答えてみてください。

8. 弟子たちは、主イエスの御言葉を聞いて、どのような反応を示しましたか(32)。

9. それでは、弟子たちは何に関心がありましたか(33-34)。

10. 主イエスの死についてはよく理解できないで、ただ自分たちの中で誰が一番偉いかということについては異常なまでの関心をもって口論している弟子たちの姿を見て、それぞれどういうことを学んだかを話してみて下さい。

11. 一般的にいって、主イエスの死についての深い理解と感激を持っていない人々が集まっている教会では、争い事がよく起こっているのを見ます。どうしてそうであるのか話し合ってみましょう。

12. 高慢な心を捨てていない弟子たちに、主イエスは9:35の御言葉を語られました。それぞれその意味を話してみて下さい。また9:37の御言葉を分かりやすく説明してみてください。

13. 心が高慢な人は、幼子を受け入れることが難しいものです。あなたは主のために幼子に仕えることができますか。幼子の言葉でも正しいことには耳を傾け、従うことができますか。幼子の魂が本当に尊いことを認めることができますか。

14. 高慢の根を抜かずにいる人は、まだ十字架がよくわからない人であるといっても過言ではありません。あなた自身、そのような人でないか深く反省してみましょう。

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