種まきの例え1~リビングストーン教会聖書勉強~

リビングストーン教会聖書勉強

11 種蒔きのたとえ(1)

マルコによる福音書4:1-17

主イエスが、真理を語られるにあたって、いちばんよく使われたのは「たとえ」でした。「たとえ」というのは、霊的真理を教えるとき、それとよく似ているこの地上の事柄で説明するものです。私たちは、種蒔きのたとえを学びながら、私たちが教えられなければならないこと、また直さなければならないことを、そこから発見しなければなりません。またそのたとえは、私たちの信仰生活の隠されている問題点を鋭く指摘してくれます。ですから、この鋭い指摘から逃れられる人は誰もいないでしょう。

  1. 種蒔きのたとえの内容をわかりやすく説明してみましょう(3-8)。
  2. 多くの群衆がいなくなったとき、弟子たちがイエスに何を質問しましたか。(10)。
  3. 弟子たちは、真理を学ぶことについて、主についてくる多くの群衆より有利な立場にいました。何故でしょうか(10:33-34)。
  4. 群衆には、たとえの奥義が知らされませんでした。なぜでしょうか(11-12)。
  5. あなたは弟子ですか。それとも群衆ですか。どうしてそうであると言えますか。
  6. 「御言葉が道端に蒔かれた」というのは、何を意味していますか(14-15)。
  7. 何が「道端」のような心であると思いますか(マルコ3:5、ローマ11:25)。
  8. サタン(悪魔)が、御言葉を持ち去ってしまうとは、どういうことですか。それぞれ自分の経験を話してみましょう。そして、どんな時にこのような試みがありますか。
  9. 「御言葉が岩地に蒔かれた」ということはどういうことですか(16-17)。
  10. ここで言われている「岩地」とは、ちょっと見るとよい土に覆われているように見えますが、そのすぐ下には岩があるわけです。どんな人の心がこれに似ていますか
  11. 「岩地」のような心を持っている人の信仰は、いつまでもその正体が明らかにはならないでしょうか(17)。
  12. 「すぐ喜んで受け入れる」ことと「根がない」ことはどういう意味ですか。(Ⅱテモテ3:14)
  13. あなたは、御言葉を学び、御言葉から教えられる着実な信仰生活よりも、感情に訴える信仰生活に傾く傾向はありませんか。もしあれば、なぜそれが危険なのかを考えてみましょう。
カテゴリー: 未分類 パーマリンク