十字架は神の愛のしるし~東京リビングストーン教会Beloved3-4~

東京リビングストーン教会Beloved3-4

十字架は『神の愛のしるし』

ローマ 5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人 であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくだったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

聖書の中心的なテーマは神の愛です。私たちにとって一番必要なことは愛です。しかし、私達はこの愛というものに、どれだけ期待しながらも、失望や落胆を繰り返しているでしょうか。時には自分を愛せずに、自分にこう言うかもしれません。“私はどうせ駄目な人間なんだ。私にはできない。”

自分の恋人に対してこう言うかもしれません。“どうして私の事を愛してくれないの?どうして私の心を理解してくれないの?”

また、自分の両親に対してこのように言うかもしれません。

“私はあなたを一生、赦せない。憎しみを消すことができない。”

私たちは毎日の生活の中で、自分を愛することができず、友人を赦すことができずに悩むことがあります。聖書では、これが自己中心という“罪”であると言っています。私達の自己中心という罪が、自分や隣人を愛することをできなくしているんです。愛することは一番必要なことなのに、同時に人間にとって一番難しいことでもあります。

しかし、今から二千年前にこの世にはない真実な愛が現れました。イエス・キリストが二千年前に掛けられた十字架の中に、その愛が隠されています。

皆さんにここで、一つのエピソードを話したいと思います。ある少年の話です。彼がものごころついた時から、母親の顔にはひどい火傷の傷があったのです。それは、醜いあととなって残っていたのです。その少年は、母親の顔を恥じたのです。私の母親の顔の醜さのせいで、私も馬鹿にされ、あざけられるからです。彼は醜い火傷を持つ母親を憎みました。しかし、その母親はなぜ、彼女の顔に火傷の傷があるのか、その原因を言ってくれなかったのです。

少年に15歳の誕生日が来ました。母親は少年がすべてを受け入れる準備ができた事を悟り、ついに、火傷の原因を話してくれたのです。その少年がまだ子供だったころ、何も分からないその少年は、熱いお湯が沸いているやかんの載ったストーブの近くに行ったのです。それを倒すことが彼の死を招くかも知れないということを知らずに・・・そして少年はそのストーブを倒そうとしたのです。しかし、その母親は少年を火傷から救いました。どのようにしてですが?彼女自身がその子供を抱きかかえて、彼女が熱いお湯を浴びたのです。

それを知った少年はどんなに心を打たれたでしょうか。今まで沢山憎み、恥と思ってきた母親の火傷が、実は自分を救うためのものであったということを、彼は知ったのです。母親の火傷は少年に対する愛のしるしでした。自分自身の命を犠牲にしてまでも少年を救おうとする愛、それが彼の心に伝わった時、彼は愛を知るものになりました。

それ以来、彼は二度と母親の火傷を恥じることはなくなったのです。むしろ、その火傷の傷こそが少年の誇りであり、母親の愛をつねに心に刻むことになったのです。

イエス・キリストの十字架を通して表されたのは、あなたに対する愛です。彼は、十字架の上で、あなたの全ての罪を背負われ、死なれたのです。私たちのすべての自己中心的な生き方の故に、受けるべき全ての苦しみ、悩み、罪の罰をキリストは背負われました。なぜですか?キリストがあなたを愛するからです。その少年の母親のように、何も知らずに自分勝手な行動の結果をして、受けるべき全ての罰から救うために、キリストは犠牲になりました。キリストの愛が十字架の死を成し遂げました。神様は皆さん一人一人をご自分の命を捧げるほどに愛しています。十字架はただの飾りではありません。神の愛のメッセージです。イエスの死を通して神様の愛が皆さんに語られていることを是非知ってください。ありがとうございました。

カテゴリー: 未分類 タグ: , , パーマリンク