罪は汚れである~東京リビングストーン教会Beloved3-1~

東京リビングストーン教会Beloved3-1
罪は汚れである

皆さん、こんにちは。今まではキリスト教について、イエス・キリストについてお話してきました。今回はもっと踏み込んで、イエス・キリストの死についてお話したいと思います。イエス・キリストの死については今まで色々な所で取り上げられてきました。アメリカの雑誌「TIME」や、2004年に上映された映画「パッション」でも有名です。何故、イエス・キリストは死ななければならなかったのでしょうか?

人は死に際して色々な言葉を残して死んでいきます。皆さんは美空ひばりさんは知っているでしょうか?日本人の女性で初の国民栄誉賞に受賞した有名な歌手です。彼女は1989年に52歳で亡くなりましたが、最後の言葉は「私が死ぬなんて・・・悔しい」と言って死んだそうです。日本で昭和という時代を代表する女性でした。しかし、その言葉は非常に無念な内容でした。

イエス・キリストはどうだったんでしょうか?彼は33歳で十字架の上で処刑されました。しかし、最後の言葉は「成し遂げられた!」でした。33歳で死刑にされて、一体何が成し遂げられたんでしょうか?私は今31歳ですが、正直何も成し遂げたと思えません。イエスはしかも殺されたんです。殺される人が何故「成し遂げられた」と言い残して死ねるんでしょうか?今日はこのことについて考えてみたいと思います。

まず、イエスの死について考える前に、私達が人生の中で直面する「最も大きな問題」について考えてみたいと思います。それは「罪」の問題です。聖書で言っている罪とは何でしょうか?それは物を盗んだり、警察に捕まったりする罪とはまた次元が違うものです。強盗や殺人は罪の「結果」です。聖書では罪の「原因」を取り扱っています。それが「原罪」です。三浦綾子さんはこう言っています。

『日本人である私たちは、罪というと国法にふれる罪のことを考えてしまう。原罪というものは、犯す罪ではなく、神を無視して自己中心の生活をすることである。(三浦綾子)』

罪(原罪)が人間にもたらす影響が3つあると言われています。

一つ目は罪による汚れです。これは罪がもたらす人間の悪い考えや行いです。聖書にはこう書いてあります。

マルコ7:20 更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。7:21 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、7:22 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、7:23 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

皆さん、私は実はさっきトイレに行って来ました。しかも手を洗ってないんです。今から隣の兄弟にさわってみます。どうですか?隣のA兄弟は汚れましたね。本当ですか?いくら私がトイレに行って手を洗ってない手で人に触ったとしても、実はその人は決して汚れないです。汚れたように見えても石鹸で洗えばすぐきれいになります。子供の頃泥んこ遊びで体中泥だらけになったかもしれません。しかし、お風呂で体を洗えばきれいになります。しかし、聖書で言っている罪の汚れは石鹸でもシャンプーでも決して落ちることがないんです。なぜなら、それは体の外ではなく中から汚れるものだからです。本当の汚れは心の中から来るんです。この汚れを人間の力で取り除くことはできません。

カテゴリー: 未分類 タグ: , , パーマリンク