イエスは「道」である~東京リビングストーン教会Beloved1-3~

東京リビングストーン教会Beloved1-3
イエスは「道」である

聖書の主人公であるイエス・キリストはどのようなことを言っているんでしょうか?こう言っています。
『私は、道であり、真理であり、命である。』
この言葉はその当時の人々に大きな影響を与えました。皆さん、考えてみてください。皆さんの家族の誰かが、急に『私は道であり、真理であり、命である』と言い出したらどうしますか?気がおかしくなったんじゃないかと疑いますね。なぜなら、このような事を言うことができるのは、神のような存在だからです。自らを神か仏かと錯覚しているような言い方だからです。イエス・キリストはこのような発言をしたんです。それでは皆さん、考えて見ましょう。

1.イエスは自分を道だと言いました。

皆さんは普段何気なく道を歩いています。ある人は徒歩で、ある人は自転車で、ある人は車に乗って道を進んでいます。しかし、誰もが知っていることは、自分がどこから来たのか、そして今どこにいるのか、そしてどこに向かっているのか、です。私達は自分が道を歩いている時、出発地点も現在地も、そしてなにより目的地を知っています。そうでなければ迷子になってしまいます。だから地図を見ながら歩いたり、車ならば今はカーナビがあります。
ところで、私達の人生はどうですか?私達の人生を道に例えるならば、私達の人生はどこから来たのか、そして何故始まったのか?そして今自分はどこにいるのか?そして、私の人生はどこに向かっているのか?知っているんでしょうか?実に、これがもっとも大事な事なのに私達は分からないんです。そして教えてくれる人がいないんです。そして、街を歩くのに欠かせない地図が私達の人生にあるかというと、私達は人生の地図を持っているんでしょうか?持っていないんです。だから、多くの人々は今までの経験と感覚で人生を歩もうとしているんです。
しかし、こういうエピソードがあります。自分の経験と感覚に頼って砂漠を歩こうとするとどうなるか知っているでしょうか?自分の目を頼りにして砂漠をまっすぐ歩こうとします。しかし、実はその人は同じ所をぐるぐる回っているんです。人間にはきき足というのがあります。だから左足の歩幅と右足の歩幅は微妙にずれているんです。だから自分がまっすぐ歩こうとしても砂漠には何の目印もないんです。だから、まっすぐ歩いているようで自分は大きくカーブしながら歩いているんです。結局どうどう巡りです。私達の人生も道を知る必要があります。なぜ自分が生まれたのか、人生の目的は何であるのか、そして人生の目的地はどこであるのか、これを知ることは遊園地までの道のりを知るよりも遙かに大切なことです。

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