金持ちの救いⅡ~リビングストン教会聖書勉強

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金持ちと救い(2)

マルコによる福音書10:23-31

金持ちの青年が帰った後、主イエスは弟子たちに金持ちの不幸について警告されました。聖書には貧しい人が救われることはない、と主が語られたことは一つもありません。しかし、金持ちに対しては、いつも警告が与えられています。お金を愛する現代社会の信者たちは金持ちへの警告から逃れて、金持ちということを霊的に解釈しようとする悪賢い考えをよく持ちます。しかし、明らかな事実は、聖書が財産の多い人を金持ちといい、心の中でお金を愛する者を金持ちとは呼んでいないということです。神様とお金とを同時に愛そうとする現代人は、このことを知って、本当に恐れの心を持たなければならないと思います。

1. 金持ちの青年が帰ると、主イエスは何と言われましたか(23)。
2. この御言葉は、実際にお金をたくさん持っている者を指していると同時に、お金を愛している者をも指しています。この2つはほとんど一致します。お金が多くなればお金を愛するようになります。金持ちとお金を愛することの関係について、それぞれの考えを話してみてください。
3. お金がたくさんあっても、お金を愛さない人がいたとしたら、そのことをどのように証明できるか話してみて下さい(参考 ルカ19:8-10、Ⅰテモテ6:17-18)。
4. あなたは金持ちですか。金持ちだとしたら、お金に心が傾いている金持ちですか。それともそうでない金持ちですか。
5. 金持ちが天国に入ることは非常に難しいということを、主はどんな比喩によって説明されましたか。
6. 主イエスの比喩は、金持ちの救いが不可能だということを意味するのでしょうか。「なんと難しいことか」(10:23)という言葉と10:27を比較しながら答えてください。
7. 弟子たちは、主イエスの言葉に大変驚きました(10:24)。当時、ユダヤ人は始終金持ちについては主イエスと反対の考えを持っていました。富を得ることは神様の祝福であると考え、そのような祝福を受けている物は永遠の命を得ることにおいて優先権を持っていると考えていました。つまり、彼らは旧約聖書の祝福論にしがみついていたのです。あなたの考え方はどのようなものですか。
8. あなたが持っている聖書の知識を用いて、10:27の御言葉が何を意味し、それがどれほど真理であるかを説明してください。
9. あなたは10:27の奇跡を体験したことがありますか。もしあれば、自分の例を、なければ他の人の例をあげて説明してください。
10. ペトロは何と言っていますか。そして彼はどのような下心でそのようなことを言ったのだと思いますか。
11. 主イエスのお答えの中で、10:29-30の内容から重要な点を整理してください。
12. 10:30で主は福音のためにすべてのものを捨てた人は今この世で100倍の報いを受けるといわれました。ここで言われている100倍の報いとは、文字通りそれを100倍という意味ではありません。むしろすべてのものを捨てた人が受ける豊かな霊的祝福のことです。どうしてそうなのか説明してください。
13. あなたは、主と福音のために何を捨てましたか。
14. 10:31の御言葉に含まれている意味を説明して下さい。そしてその御言葉が事実であるということの実際的な例を挙げてみてください。
15. あなたは先の者であったのに、後の者になったということはありませんか。

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金持ちと救いⅠ~リビングストーン教会聖書勉強

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36. 金持ちと救い

マルコによる福音書10:17-32

主イエスが弟子たちと一緒にエルサレムにむかって歩いておられたとき、1人の金持ちの青年が御許に来て、道端に跪き、どのようにしたら永遠の命を得ることができるかということを尋ねました。これは、現代の私たちに対し、かけがえのない大切な真理を教えてくれる画期的な出来事であるということができます。永遠の命とお金、主イエスとこの世のどちらも取りのがしたくない人々に対して、はっきりとした選択を迫る出来事です。私たちは、この主の態度に対して、恐れる心を持って立たなければなりません、この2つをともに手に入れることはできないのです。はっきりどちらかを選ばなければなりません。そしてそのどちらを選ぶかによって、あなたの永遠の運命が決定してしまうのです。あなたはこのことをどれだけ真剣に考えているでしょうか。

1. 主イエスの御許に来て、永遠の命について真剣な質問をした人から、私たちはいくつかの良い点を学ぶことができます。どのような点なのか、10:17-20から話してください。
2. あなたは永遠の命のことについて、この人のように真剣に取り組んだことがありますか。
3. この人は、「金持ちの青年」でした。ですから、若さ、財産、健康、名誉などを持っていましたが、それらによっては魂の渇きを癒すことができずにいるこの青年を見て、あなたが今ここで新しく理解することのできる真理は何なのか話してみてください(コヘレト5:10-11)。
4. 主イエスのことを、この青年が「善い先生」と言ったとき、どうして主は彼が間違ったことを言っているかのように戒めたのでしょうか。このような言い方は、主が罪のない神の御子である事実を否定することなのでしょうか(18、ヨハネ10:33)。
5. 主イエスは、永遠の命を得る方法として、戒め(律法)を守りなさい、と言われました。どうしてそのように言われたのでしょうか。永遠の命はただ信じるだけで与えられるのではないでしょうか(レビ18:5、ローマ7;12)。
6. 金持ちの青年は、戒めを幼いときから守ってきたという密かな誇りを心の中に持っていました。それなのに、永遠の命を得られず、心の中で葛藤していたのです。このことは、私たちに何を教えているのでしょうか(ローマ7:9、13)。
7. 戒めをすべて守ってきたと言っているこの青年に対して、主イエスは何を要求されましたか。命令と約束と招きが、それぞれ1つずつあることに留意してください(10:21)。
8. 主イエスは、どうして彼に財産を処分するように要求されたのでしょうか。永遠の命を得ようとする人は、皆そのようにしなければならないという意味でしょうか。
9. 主イエスが要求を聞いたとき、この青年はどのような反応を示しましたか(22)。
10. 主イエスは、青年に「欠けているものが1つある」と指摘されましたが(10:21)、それは何であると言ったら良いでしょうか。
11. 青年にとっての1つの欠けているものは、彼に2つの致命的な打撃を与えました。1つは彼が戒め通りにいきていなかったことを暴露し、さらに永遠の命を放棄しなければならないということでした。どうしてこのように言うことができるのか、考えてみてください。
12. あなたは、顔を曇らせ悲しみながら立ち去っていく青年を見ながら、どういうことを感じますか。
13. 私たちの周りには、このような金持ちの青年がとても多いと思います。彼らはたくさんのお金を持っています。しかし、心の中では人知れず不安と渇きがあります。ですから救いについて深い関心を持つわけです。できることなら救われたいと思っています。けれども、彼らは喜んでお金から心を離して主を選択できない弱さを持っています。あなたの身近にいる人で、このような苦悩を持っている人はいませんか。
14. あなた自身はいかがですか。もしも主がご覧になられたなら、あなたに欠けているものが1つあると指摘されることはないと言えますか。

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子供を祝福するイエス様~リビングストン教会聖書勉強

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35.子供たちを祝福された主イエス

マルコによる福音書10:13-16

 弟子たちは、主イエスから、幼子の一人を主のお名前によって受け入れるなら、それは主を受け入れることであり、幼子の一人をつまずかせるなら、むしろ死ぬほうがましだという教えを聞いていました。ところが、それから何日も経っていないのに、彼らはその教えを完全に忘れてしまっていました。人々が子供たちを主イエスの御許に連れてくるのを見ると、弟子たちは常日頃子供たちを無視するいつもの癖を出して行動しました。私たちは弟子たちの行動を見ると、まるで私たち自身の姿を鏡に映して見ているように思われます。もう一度、子供たちの価値と大切さに目を開かなければならないと思います。

1. 人々が子供たちを主イエスの所に連れてきた理由はどこにあると思いますか(13、マタイ19:13、ルカ18:15)。
2. 弟子たちは、親が子供を連れてきて自分の先生を煩わせているのを見て、腹を立てて叱りました。そのとき、弟子たちはどんな考えでそのようにしたのでしょうか。肯定的な面と否定的な面を区別して話してみて下さい。
3. 私たちもときどき、弟子たちのように、主イエスの御前に出て恵みを受けるとき、子供たちを差別する傾向がないとは言えません。ある家では家庭礼拝に子供たちを参加させないことがあります。それに似た例があれば話してください。
4. 主イエスにお会いして御言葉を学び、恵みを受けるのに、子供たちを除外してはならないと思うなら、その理由を話してください。そして、その反対の意見についても理由を話してください。
5. 主イエスは何といっておられますか(14)。
6. 子供たちを主イエスの所に連れてくるのを止めてはならないと主が言われた理由を2つ話してください(14-15)。
7. 「神の国はこのような者たちのもの」(10:14)という御言葉の意味を考えてみてください。なぜ天国が子供たちのものであると言われるのでしょうか。
8. 子供たちから発見することのできる良い点なども並べて、その中で信じる私たちが真似なければならないことは何であるか話してください(マタイ18:4、ルカ10:21)。
9. 子供たちと比較するとき、霊的なことで、あなたに最も足りないと思われることが何であり、そのために今までどんな損害を受けたかを話してみて下さい。
10. 10:15に注目してください。あなたは主イエスを子供のように受け入れていますか。
11. あなたは、主の御前でいつも子供たちのようだと思いますか。どういう点でそのように言うことができるのか、具体的に説明してください。
12. もしもあなたに子供たちのような霊的姿勢が足りないとしたら、どのようにしてその問題を解決することができるか考えてみてください(ルカ18:35-41,19:1- 6)。
13. 主イエスは、子供たちに対してどのようにしてあげましたか(16)。
14. あなたは家庭や教会で、子供たちが本文に出てくる子供たちのように、主イエスの祝福を直接受けることができるように親切な心で接していますか。具体的な例を話してみてください。
15. 子供たちにとって最も大切なものは、神の祝福です。あなたにその確信がありますか。そして今、その確信を持って子供たちを養育していると言えますか。

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離婚について~リビングストン教会聖書勉強

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離婚について

マルコによる福音書10:1-12

 主イエスは、ガリラヤを最終的に離れられました。主イエスは、十字架の死を前にしてエルサレムに向かっていかれました。その当時エルサレムに行くときは、サマリヤを通らずにヨルダン川の向こう側のベレヤ地方を通って行きました。ルカの福音書には、主イエスがベレヤ地方を通りながらなさったことをたくさん記していますが、マルコの福音書は10章でその内容だけ記しています。その中で最初に起こったことは離婚問題によってファリサイ人たちが主イエスを試そうとしたことです。今日の教会が抱えている最も深刻な問題の一つは、この離婚の問題だと言えるでしょう。文明が発達し、生活が豊かになればなるほど離婚の悲劇は増えています。ですから、主イエスがこの問題についてどのように言っておられるかを注意深く見なければならないと思います。

1. ファリサイ人たちは主イエスに会ってどのような質問をしましたか。どうしてそのような質問をもって訪ねてきましたか(2、マタイ22:15-18)
2. 主イエスは、モーセの律法では離婚についてどのように命じているかと尋ねられました。それについて、ファリサイ人たちは何と答えていますか(4、申命記24:1-4)。
3. ファリサイ人たちは、離婚について意見が分かれていました。離縁状を書いて渡すことができるという律法の教えについて、これは妻が姦淫をしたときにだけに適用されると主張する人々と、姦淫だけでなくほかの理由でも、夫が問題とするならそれに当ると主張する人々とが互いに対立していました。主イエスはこれをどのように教えておられますか(5、マタイ19:8)。
4. あなたは離婚について、今までどんな考えを持っていましたか。それぞれ率直に話してください。そして、その考えが聖書に基づいたものであるか。そうでなければ一般の社会常識に従ったものであるかということを検討してみてください。
5. 主イエスは、結婚をどのように見ておられるか、10:6-9から大切な原則をいくつか探してみてください(創世記2:21-25)。
6. 今発見した結婚の原則の中で、今日の私たちが最も無視しているものは何だと思いますか。そして、まさにそのことが離婚を簡単に考える根本的原因になっていると見ることができるのですが、あなたはそのことについてどう考えますか。
7. 「二人は一体となる」(10:8)とはどういう意味ですか。
8. 離婚の問題が、弟子たちの関心を呼び起こしたことは確かです。それで、彼らは家に帰ってもその問題について主イエスに尋ねています。彼らは主イエスにどんな質問をしたと思いますか(10-12)。
9. どうして離婚は罪になるのですか(11-12)。
10. 離婚が認められる場合について、聖書は何と言っていますか(マタイ19:9、ローマ7:2-3)。
11. 神様は、原則的に離婚を許されないということがわかります。しかし、これは安易に離婚することを禁止しているのであって、不貞や相手の死以外のどんな条件でも離婚はできないと言われたわけではありません。あなたは、次のような場合、離婚は許されると思いますか。
・配偶者が数年間、家庭を捨てて、消息の分からない場合 ・性格上の違いが余りに大きい場合
・夫婦生活のできない肉体的な欠陥がある場合 ・夫婦のどちらかが別の人を愛している場合
12. あなたは離婚を考えたことがありますか。あるとしたら、どのような場合ですか。そして、どのようにしてその瀬戸際を乗り越えることができましたか。
13. 正しい信仰生活は、離婚の危機を未然に防ぐことができます。アメリカの場合、信者の夫婦の離婚率は、未信者の夫婦に比べて20%以下であることからも分かります。その理由はどこにあると思いますか。
14. キリストを知る前、既に不当な離婚や再婚をした兄弟姉妹がいる場合、私たちはその人をどのように助けてあげなければならないと思いますか。
15. 周囲の人から傷を受けた家庭があるかどうかをみて、その人たちのために祈りましょう。

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塩気を保ち、和合しなさい~リビングストン教会聖書勉強

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塩気を保ち、和合しなさい

マルコによる福音書9:42-50

 主イエスに従って生きようと思う人は、他の人に対しても、また自分自身に対しても厳しい自己管理をする能力を備えていなければなりません。ヨハネが犯した失敗によって、主イエスはこの点をきつく教えられました。何でも自分本位に他の兄弟姉妹たちを批判したり、躓かせたりすることが、自分に対してどんなに大きな不幸をもたらすかを警告なさいました。そして、それに続いて自分自身を正しく管理できず、罪に陥るなら、取り返しのつかないことになることもあるということを悟らせてくださいました。この警告は極めて切実なものだと思います。

1. 9:42で主イエスは何について教えておられますか。その内容を詳しく話してください。
2. 他の人をつまずかせるとは、どういう意味ですか。9:38をその例として説明してください。
3. 「わたしを信じるこれらの小さな者の一人」という言葉には、深い意味があります。それぞれ思いつくままに1つずつ話してみてください(マタイ10:30-31、18:10、14)。
4. 「石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」とは私たちにどのようなことを強く警告しているのでしょうか。
5. 一般に私たちが、教会の中で他の兄弟姉妹をつまずかせる原因は、どのようなことなのか率直に話し合ってみましょう。
6. あなたは、信仰の兄弟姉妹たちをつまずかせたことがありませんか。特に信仰生活を一生懸命している兄弟姉妹たちを気落ちさせたり、堕落させたりしたことはないかどうかを調べ、あれば悔い改めましょう。
7. 主イエスの弟子は、他の人をつまずかせてはならないだけでなく、自分自身をつまずかせてもいけません。何が自分自身をつまずかせることになるのか、9:43-47に繰り返し出てくる言葉で説明してください。
8. 罪を犯させる手や足を容赦なく取り去るほうが、地獄に行って永遠に苦しみを味わうより良いといわれた主イエスの御言葉から、あなたが感じていることを話してください。
9. あなたは罪を犯して手を切り取るような苦しみを覚えつつ、悔い改めた経験を持っていますか。あなたは自分の罪についてどのような反応を示しますか。
10. 一般的にみて、信仰を持って救われたのだという確信のために、罪を犯してもそれほど苦しんだり恐れたりしない傾向があります。これはなぜ間違いなのか、その理由を考えてみましょう(ローマ6:11-14、マタイ12:33)。
11. 主の弟子は、誰でも霊的堕落をしないように注意しなければなりません。兄弟姉妹をつまずかせる高慢と我侭を捨てなかったり、自分自身を罪の誘惑から守る節制がなければ、霊的に簡単に失敗します。どのようにしたら例的堕落を防ぐことができるか、9:49を読んで、黙想しましょう(マタイ5:13、Ⅰペトロ1:7)。
12. 今まで学んできたところから、9:50に出てくる塩は、兄弟姉妹に対して寛容で、思いやりをもって誠実に接することと、自分自身を罪の誘惑から守る敬虔さを教えていることが分かります。このようなものを、私たちの中に持って生きていれば、兄弟姉妹の中で和合できないわけがありません。どうしてこのように言えるのか、あなたの考えを話してください。
13. 教会の中では、自分が一番優れ、信仰が一番良く、自分一人ですべての奉仕をしているかのように振舞う人が時としてあります。私たちはこのような人々がどれほど主の御心と教えから外れているかということを、今日の御言葉を通して学びました。あなたはこのようなおごり高ぶった心はありませんか。静かに祈りながら自分の思いを書いてみてください。

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寛容でありなさい~リビングストン教会聖書勉強~

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寛容でありなさい

マルコによる福音書9:38-41

 主イエスが、ご自分の名前の故に幼子を受け入れるなら、主を受け入れることになると言われると、それを聞いたヨハネは、前にあった出来事を持ち出して質問しました。この質問を契機として、主イエスは弟子たちが必ず身に付けなければならない重要なことについて話されました。福音のために働く者は、何よりも寛容でなければならないということです。それでは、どうして福音を伝えるものたちにとって寛容は大切なのでしょうか。この問題は、当時の弟子たちにとってのみ大切であったのではありません。今日でも、福音のために主の弟子らしく行動しようとする人にとっては、大切な真理なのです。

1. ヨハネが経験した出来事とは、どのようなことであったのか詳しく説明してください(38)。

2. ヨハネは、悪霊を追い出している人を見て、どのように感じましたか。そのような感じ方は正しいのでしょうか。

3. ヨハネの考えでは、主イエスに従う弟子ではないのに、主イエスのお名前によって何かをすることは、主イエスの名誉のために受け入れられないと考えたようです。それでその人を断固として退けたのです。私たちも似たようなことをしないでしょうか。「私の教会」「私の教団」に属していない人を批判したり、妨害したり、白い目で見ることはありませんか。それぞれ各自のことについて話し合ってみてください。
4. あなたは、すべての点で自分と一致せず、また一緒に行動しないという口実で、ヨハネのように他の兄弟を咎めたり退けたりしたことはありませんか。もしあればそのことについてどう思いますか。

5. 主イエスのお答えを、分かりやすい言葉でもう一度整理してください(39-41)。

6. 主イエスが言われたことの核心は何であると思いますか(エフェソ4:2)。

7. たとえ自分と一緒に信仰生活をしている人でなくても、主イエスのお名前によって何かをしている人に対しては、寛容でなければならない理由を3つ話してみて下さい。
8. 福音のためには、できるだけ敵を作らないようにする必要があります。ヨハネのようにすれば、その相手は福音の妨害者になりやすいのです。主イエスは、そうすることが賢いことではないということを教えておられます。あなたは寛容でなかったが故に敵を作り、その結果福音を伝えることに支障をきたした経験がありますか(ローマ12:18-20)
9. 主イエスがここで教えておられることは、たとえ真理でないことを教える人とでも衝突を避け、妥協するようにという意味ですか(Ⅱヨハネ7-11)。
10. あなたは、信仰的に寛容にしなければならない人と、そうしてはならない人をどのように区別していますか。実際的な例をあげて話してください。
11. 主イエスを信じる人に、冷たい水一杯でも飲ませてあげるような思いやりを示せば、決して報いを失うことがないという御言葉について、あなたはどう思いますか。彼らが受ける報いとは何のことでしょうか。主イエスを信じなくても神がそのことを覚えてくださるということでしょうか。
12. あなたは信じる前に、主イエスを信じる人たちに対して何か思いやりを示したことがありますか。たとえば、貧しい生活をしている人が主イエスを信じているという理由で、その人を助けてあげたことがありますか。もしあれば、そのことの報いとして、あなたは信仰を与えられ、救われたのだと思いませんか。

13. 今まで信仰生活を送りながら、寛容の実が不足していたがために、兄弟姉妹たちを深く傷付けてしまったことを思い出したなら、その人たちの名前を書いて、彼らのために祈りましょう。また、特にそういう人を思い出せないのなら、寛容という実が与えられるように心を合わせて祈りましょう。

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ガリラヤの路上で~リビングストン教会聖書勉強~

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31.ガリラヤの路上で

マルコによる福音書9:30-37
主イエスは、エルサレムに行かれる前、最後のカファルナウム訪問をする予定でした。しばらくの間、弟子たちとともに静かな場所におられた主イエスは、カファルナウムに行かれても、できるだけ群集の目にさらされないような道を選んで旅をしておられました。十字架の死を前にして、主イエスは祈り、瞑想する時がさらに多く必要でしたが、同時に弟子たちがイエスの死に直面したとき、ぐらつかない強い信仰を持つことができるように、あらかじめ準備をさせる必要がありました。それで、道を歩きながら、十字架の死と復活について2度目の予告をされ、主の弟子になる道は、他の人に仕える謙遜な態度を持つことであることを教えられました。

1. 主イエスは、ガリラヤ地方を通って行かれたとき、どのようなことに気を遣っておられましたか。その理由はどこにあったのでしょうか(30-31)。

2. あなたは、神の御言葉を黙想して祈らなければならないとき、できるだけ人を避けたほうが良いということについてどう考えますか。自分の周囲にいる人々が神様との交わりの障害になることはありませんでしたか。あったら、そのことについて話してみて下さい。

3. 道を歩きながら主が弟子たちに教えられたことは、十字架上の死と復活でした。このことを主はどこから取り扱っておられるのか、もう一度考えてみてください(マルコ8:27以下)。

4. 十字架上の死と復活について、主が弟子たちに教えられるとき、主はどうして他の人のいないときに多く語っておられるのでしょうか。

5. あなたは十字架の前において、主イエスとだけ相対したことがありますか。また、復活の日にマグダラのマリアが1人で復活の主と出会ったように主と出会ったことがありますか。

6. 主イエスは、ご自分の十字架上の死について、極めて明確に語っておられます。主がこのように断定的に語ることがおできになる理由は何だと思いますか。

7. 主イエスが、ご自分の死と復活について、何度も弟子たちに語られた動機は、弟子たちをいたわり、慈しむ愛であったと思います。その理由をマルコ13:22-23、ヨハネ13:19を参考にして答えてみてください。

8. 弟子たちは、主イエスの御言葉を聞いて、どのような反応を示しましたか(32)。

9. それでは、弟子たちは何に関心がありましたか(33-34)。

10. 主イエスの死についてはよく理解できないで、ただ自分たちの中で誰が一番偉いかということについては異常なまでの関心をもって口論している弟子たちの姿を見て、それぞれどういうことを学んだかを話してみて下さい。

11. 一般的にいって、主イエスの死についての深い理解と感激を持っていない人々が集まっている教会では、争い事がよく起こっているのを見ます。どうしてそうであるのか話し合ってみましょう。

12. 高慢な心を捨てていない弟子たちに、主イエスは9:35の御言葉を語られました。それぞれその意味を話してみて下さい。また9:37の御言葉を分かりやすく説明してみてください。

13. 心が高慢な人は、幼子を受け入れることが難しいものです。あなたは主のために幼子に仕えることができますか。幼子の言葉でも正しいことには耳を傾け、従うことができますか。幼子の魂が本当に尊いことを認めることができますか。

14. 高慢の根を抜かずにいる人は、まだ十字架がよくわからない人であるといっても過言ではありません。あなた自身、そのような人でないか深く反省してみましょう。

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信仰と祈りの力~リビングストン教会聖書勉強~

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30.信仰と祈りの力

マルコによる福音書9:14-29

 3人の弟子たちと一夜を山で祈って下りてこられた主イエスは、残っていた弟子たちが大変苦しい立場に置かれているのをご覧になりました。彼らは口をきけなくする霊につかれた息子を癒していただくようにと願っている父親の要求にこたえることができず、その結果、そこに集まって来ていた人々から非難され、冷たい扱いを受けていました。どうして彼らは治すことができなかったのでしょうか。このことについて、主イエスは大変重要な真理を私たちに教えてくださっています。この出来事は主イエスがガリラヤで最後に病人を癒された奇跡です。

1. 主イエスが山におられたとき、残っていた弟子たちにどういうことが起こりましたか。

2. 主イエスがその場におられないことを知りながらも、弟子たちに自分の息子を治してくださいと頼んだのはどのような理由があったのでしょうか。マルコ6:7、13を参照しながら説明してください(ルカ10:17)。

3. 弟子たちが悪霊を追い出すのに失敗したのはどうしてですか。主イエスの言葉に基づいて答えてください(19、23、29)。

4. 前にはできたことが、このときできなかったことからすれば、弟子たちの信仰がこのとき弱っており、祈りを怠っていたに相違ありません。彼らがこのような試みにあった理由を考えてみましょう。

5. あなたもこれと似たようなことはありませんか。過去のあるときに受けた恵みに依存して、今安心していないでしょうか。

6. 9:16を読み、主イエスが嘆いておられる理由を考えてみてください。そして、今も私たちをご覧になり、同じように嘆いておられはしないでしょうか(ヨハネ1:8-10)。

7. 9:22-23を分かりやすい言葉で整理してみてください。どうして主イエスは父の言葉に対して不快な反応を示しておられるのだと思いますか。

8. 9:23の「できるものなら」という信仰はどういうものだと思いますか(ヤコブ1:6-8)。

9. それぞれ自分の信仰が弱くて得られなかったり、できなかったりしたことがあったら、その例をあげて話してみて下さい。

10. あなたは9:23の信仰を持っていますか。持っているなら、どのようなことでその信仰を証しする事ができますか。

11. 主イエスはその子をどのように治しておやりになりましたか(25-27)。

12. 治せなかった弟子たちは、後から来て、主イエスになんと言いましたか(28-29)。

13. あなたは、信仰と祈りの関係がどのようなものだと思いますか。どうして信じる人は祈り、祈る人は信じるという公式が成り立つのでしょうか(ヤコブ5:15)。それぞれ自分の信仰と祈りが一致しているかどうか点検してみてください。

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主イエスの変貌~リビングストン教会聖書勉強

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29.主イエスの変貌

マルコによる福音書9:1-13
主イエスは、愛する3人の弟子を連れて山に登られました。そして主がこれから治めようとしておられる神の国と、主のご栄光がどんなに輝かしいものであるかを見せてくださいました。この出来事は、主イエスが群衆を避け、弟子たちと一緒に静かなところに行かれたときに起こったように考えられます。その場所は、フィリポ・カイザリヤのあたりのヘルモン山ではなかったかと思われます。主イエスは、どうして突然弟子たちにご自分の栄光を現さなければならなかったのでしょうか。

1. 主イエスは、弟子たちに対してどのようなことを予告なさいましたか(1)。
2. それから、弟子たちは愛する3人の弟子を連れて山に行きましたか、そこでどのような事が起こりましたか(2-4)。
3. 神の国を見せてくださるという約束をされてから、主は弟子たちにご自分の栄光に輝いた御姿を見せてくださいました。栄光の座に着かれる主イエスと神の国の間にはどのような関係があると思いますか(ルカ22:29-30)。
4. そのとき、そこに現われたモーセとエリヤについて知っている事を話してみて下さい。この2人はどういう点で特徴があるか調べてみてください(列王記下2:1、11、申命記34:6、ユダ9)。

5. ペトロは思わずどんな事を言いましたか。もしもあなたがその場にいたら、どういうことを言ったでしょうか(5-6)。

6. ペトロの言葉を通して、私たちが知る事の出来ることが1つあります。神の国はあまりにも素晴らしいので、地上のことをすべて忘れてしまうようにさせるのです。どうしてそのように言うことができますか。

7. 突然何が起こり、雲の中からどんな声が聞こえてきましたか(7-8)。

8. 雲の中から聞こえた御言葉は大変重要です。変貌の山の神秘的な体験に執着したり、モーセやエリヤの言葉に耳を傾けず、ただ主イエスの御言葉だけを聞きなさいといったことです。どうしてこのことが重要だと思いますか。

9. このように神秘的な体験が、後になって弟子たちに益になったということは言うまでもないことです。その理由を考えてみてください(9-10、Ⅱペトロ1:16-18)。

10. 神は、私たちの信仰がぐらつく危険があったり、重い十字架を背負う必要がある時は、特別な方法で私たちの信仰を強くし、勇気を与えてくださる事がしばしばあります。そのような体験があれば、誰でも話してみて下さい。

11. 弟子たちが主イエスの死と復活について全く理解できなかった理由を考え、あなたにも似たようなことがなかったかどうか反省してみてください(10)。

12. 弟子たちが山を下りながら、主イエスに質問した内容はなんでしたか(11)。

13. それに対して主イエスは何と答えていらっしゃいますか(12-13、マタイ17:11-13)

14. エリヤと主イエスを勝手に扱った世に私たちは生きています。場合によっては私たちもこの世において受け入れられないということをよく知らなくてはなりません。このことについて、あなたはどう考えますか(マタイ5:11-12)。

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ペテロの信仰告白~リビングストン教会聖書勉強~

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ペトロの信仰告白

マルコによる福音書8:27-38

 主イエスは、しばらくガリラヤに立ち寄り、人々を教え、また寂しいところへ行かれました。以前は地中海沿岸のティルスやシドンからガリラヤ湖の東岸のデカポリス地方へ行かれましたが、今度は北方のヘルモン山の近くとフィリポ・カイザリヤに行かれました。そこで主イエスはご自分が十字架につけられる前に、弟子たちに最後の準備をさせることに力を注がれました。弟子たちはなおも十字架による神の救いのご計画については、心の目が開かれていませんでした。ペトロの素晴らしい信仰告白と、それに続く彼の言動は、そのころ弟子たちがまだあまりよく分かってはいなかったのだということを雄弁に物語っています。

1. フィリポ・カイザリヤの村々に出かけていく途中、主イエスが投げかけられた質問はどのようなものでしたか(27)。

2. 弟子たちの答えから、当時の一般の人々は、主イエスをどのような人と見ていたことが分かりますか(28、ヨハネ3:2)

3. 現代人の中でも、同じように主イエスを見ている人々がいます。その例をあげてみてください。そして、あなたが主イエスを信じる前に持っていたイエス観と比べてみてください。

4. 主イエスの2つ目の質問は何であり、ペトロはどのように答えていますか(29)。

5. この世の人々のイエス観と、ペトロのイエス観の本質的な違いはどこにありますか(マタイ16:13-16)

6. 主が今あなたに同じ質問をされたとしたら、あなたはどのように答えますか。そして、いつからそのような確信を持った答えができるようになったのか、その恵みを証ししてみてください。

7. 弟子たちの正しい信仰告白を聞いてから、主イエスがはっきり話されたということは、どういうことですか(31-32)。

8. 私たちがマルコの福音書を注意深く見ると、ペトロの信仰告白の後、主イエスは3回にわたってご自分の死と復活について予告しておられます。なぜ主はそのことを繰り返し語られたのでしょうか(マルコ9:30-32、10:32-34)。

9. 十字架の死について聞いたとき、ペトロはどのように反発しましたか(32)。

10. 8:33をわかりやすく整理してください。

11. 主イエスは、なぜペトロをサタンと言われたのですか。どうしてペトロがサタンになることができますか。

12. 主イエスの断固とした態度をみて、何を感じますか。それぞれ話してください。

13. あなたは神の御心より、人間の思いを優先するサタンになる場合がありますか。また、あなたの周りの人で、あなたにサタンの役割をする人はいませんか。

14. イエス・キリストに従っていく弟子が備えていなければならない条件は何ですか。簡単に一言で要約するとどういうことになりますか(34-38)。

15. それぞれ主に従う準備ができているかどうか、率直な思いをノートに書いてみてください。

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